第19回 上流から見たeラーニング 1「社員が働きたい職場造り」に活かすeラーニング 前編

2008/01/22

前回までは欧州におけるeラーニングの事情について、ユーザ事例を中心にその動向をレポートしてきましたが、今回から切り口を変えて新シリーズを始めます。新シリーズは「上流から見たeラーニング」をテーマとし、HRの戦略など上流の企業戦略にeラーニングをいかに活用しているのか、ツールとしてどういう使い方をしているのか、などを具体的にレポートしていきます。今後のシリーズにご期待下さい。
新シリーズ第一回目は、アメリカのお花屋さんのレポートから始めます。
『HRのトップとしての大きなビジョンは一口で言うと「社員が働きたい職場にする」ことです。そして自分のビジョンの実現のためにeラーニングは欠かせないツールです。』
これは、アメリカのインターネットのお花屋さんである1-800-フラワーズ・ドット・コム社(ww12.1800flowers.com)の副社長であるアドック氏が昨年の筆者のインタビューに応じて話してくれたことである。このビジョンは文としては短いが、とても的確に「トップとして」の夢を表現していると思った。それは、「社員が働きたい職場」という言葉には、社員をそのような気持ちにさせるのにトップとして何をすべきかということと、そのような職場になったことで会社をどう成長していってほしいのかという思いが込められた言葉だからである。トップである限り、アドック氏は、「社員が働きたい職場」にすることで、生産性はあがり、顧客満足度があがり、会社は成長し、ひいては、企業価値の向上につながるという構想はできあがっているはずである。また、「社員が働きたい職場にすること」と「社員への価値、顧客への価値、株主への価値を高めること」とどうつながるのか、「社員のやる気、プライド、ブランド、社員満足度、ワークライフ・バランス、社員の将来性、顧客満足度、経営戦略」、さらに創立者の思いを込めた「人を大事に思う気持ちを大切に」という企業文化とどうつながるのかといったことをいろいろと模索した結果の言葉だからである。
近年、日本では短期的な成果主義の反省を込めて、「中長期的な人材育成」にシフトしている企業が多い。2006年の日本経済団体連合会の「企業価値最大化に向けた経営戦略」のレポートにおいても、「人材育成への積極的な取り組みが企業価値のプレミアムにつながる可能性が高い」と、人材育成は時間はかかるが将来に向けた企業の姿勢は株主に高く評価されていると指摘している。
今回、日本ではあまり名の知れていないオンラインの中堅花屋を事例として取り上げた理由は、「自分のビジョンの実現のためにeラーニングは欠かせないツールです」とはっきり言うトップのアドック氏の取り組み方が、日本のトップの方々にもご参考になるのではと強く感じたからである。こと、eラーニングの話しになると、日本では、eラーニング担当者と企業トップとの間に大きな認識の違いがあるように常々感じていた。それは、「eラーニング」という言葉は、今まで「テクノロジーありき」あるいは、「紙芝居の電子版」というイメージから脱しきれていないからかもわからないが、どうもeラーニングは経営とは直接関係ないもののようにとられているケースが多いように思われた。勿論、アメリカでもすべての企業のトップの人達がアドック氏のような考え方を持っているわけではないが、経営者の一員として、「企業価値の最大化」、「経営戦略の実行」を念頭に入れた上でeラーニングを「紙芝居」とは違う形で活用しているアドック氏のアプローチをご紹介したい。

1.ビジョンの実現のために
アドック氏は、「社員が働きたい職場にする」という自分のビジョンを実現するには次のようなアプローチが大事であると考えていた。

  1. せっかく良い人材を雇用してもキャリア・アップしていかないと、社員自身のやる気を継続させることは難しいので、「社員の成長を組織的に支えること」が大事。

  2. 1-800-フラワーズ社は全世界において最高の顧客サービスを提供することを目指していて、このことが社員のプライドになっている。そのためにはトップレベルの知識(新製品知識、業界知識)とサービスを提供しなければならないので、「顧客のために継続的な教育を社員に提供すること」が大事。

そこで、上記の二つのアプローチを考慮した仕組みとして、「GROWプログラム」と呼ばれている人材育成プログラムを導入した。1-800-フラワーズ社の場合は「花」を扱う仕事柄「花が育つ」に引っ掛けてあるということもあるが、社員一人一人の「成長」をサポートしたいという願いを込めて「GROW」という名をつけている。(ちなみに、ここでいう社員とは、コールセンターのエージェントが主である。)
このプログラムは、「社員が自分のやりたい仕事で昇進する仕組み」であることに特徴がある。アドック氏は「社員が仕事にモチベーションを感じられる職場環境は、本人が面白いと感じ、やりがいを感じられるところにあります。生活のためのお金が目的ということも仕事への大きなモチベーションですが、多くの社員は、毎日、何か社会に貢献していると感じる、誰かの幸せにつながる何かをしている、という満足感がプライドにつながり、それがモチベーションになっています。私はこのような仕事ができてラッキーだと思っています。『いい仕事をやったなあ』とか『自分は幸せだな』と感じることがよくあるからです」と、「社員のやる気」を何よりも大事にするアドック氏自身の仕事に対する強い信念を語ってくれた。

2.GROWプログラムとは?
このGROWプログラムの大きな目的は、社員が現在所属している部署ではなく、自分が所属したい部署に配属され、そこの仕事を経験することによって、自己の能力を高めるチャンスを提供することにある。仕組的には、社員が自分の希望でうまくローテーションできるように、1つの部署に対して1つか2つのポジションの空きが設定してある。このローテーションのためのスタッフと予算は確保されており、本人へ評価をきちんと伝えながら育成をしていく。
たとえば、電話受付をしている社員が、将来スケジューリング部で働きたい、あるいは管理職になりたいという希望があれば、その社員は希望する部署に配属され、3~6カ月間実際にその仕事に就くことができる。もちろん、希望さえすればすぐに配属されるわけではなく、GROWプログラムに参加したい社員は、給与、条件などが記載されているGROWプログラムの詳細をネットで見て、履歴書・カバーレター(志望動機を記したもの)を送って応募する。どの部署に応募するかは、応募前の面接で自分のキャリアプランについて話し合って決めていく。「将来どんなキャリアに進みたいか?」というような質問を受けることになる。
この段階で、社員によっては、履歴書、カバーレター(志望動機)の書き方を知らない社員もいるので、応募方法から応募先のインタビューの受け方までを1対1でコーチングするインタビュー・スキル・ワークショップという研修を提供している。面接は、対面もあるが、オンライン・スクリーニング・ツールを使って、リアルタイムでチャット、ボイスを使ってインタビューをすることもある。(オンライン・スクリーニング・ツールはバックグラウンドチェックを自動的にできるようになっている。)
アドック氏は、eラーニング・ツールをGROWプログラムの過程の中で使えるところからとても積極的に活用している。GROWプログラムというしっかりした仕組みとコンセプトがあってこそ生きるというツールの使い方である。「人の成長にはヒューマンサポートは大切です」と、GROWプログラムにはきっちりとメンター、コーチを置いてある。アドック氏の姿勢は、社内に浸透しているせいか、ツールの機能性に翻弄されることなく、このときは「人」、このときは「ツール」という使い分けがなされている。また、eラーニングという別個のものとして使うのではなく、GROWプログラムの中のツールの一つで、必要に応じて使うという使い方である。
アドック氏の下で働いているマネージャーのレジェンダー氏は、「常々部下に自分の夢やゴールについて聞くようにしています。インターナショナルなスピーカになりたいと、ある社員が夢を持ったとします。その社員の働くための動機付けはそこにあるわけですが、それを日常の研修と結びつけて指導するようにしています」と社員のやる気を醸成するのに対面の対話の大切にしている。同時に、「GROWプログラムの採用までの過程、採用後における社員からの問い合わせに対して、今の世代は、チャット、テキストメッセージを自由に使いこなせるので、チャットルームで相談にのっています」と、GROWプログラムでコーチとしては、相手に合わせてツールを活用している。
応募しても採用されなかった社員に対しても、きちんと応対をして成長する機会を与えるようにしている。まず、採用されなかった理由、採用されるには何が必要なのか書かれている「コーポレート・ラーニング・オポチュニティー・レター」が送られる。さらに、対面とオンラインのコーチングによって具体的に「なぜ、採用されなかったか」を伝えると同時に「採用されるには何が必要で、どのようにして習得するのか、リソースとして何が使えるのか」を推薦する。
GROWプログラムが他の後継者育成プログラムと大きく違うのは「コーポレート・ラーニング・オポチュニティー・レター」と名づけてあるように、不合格通知を出しておしまいではなく、何をどのようにすればよいのかというアドバイスを含めて、後処理をきちんとしていることである。そうしたフォローによって、不採用者でも、GROWプログラムに参加しようとしただけで、自分がこれから何をしていくべきかが分かる。アドバイスにしたがってeラーニングを活用したりして努力し、次の年に採用されたということは、1-800-フラワーズ社ではよくある。「上司と教育研修部の担当者が一緒に座って、アドバイスや評価について話し合いながら、本人の今後の育成プログラムを作成する」ということが、この会社では普通に行われている。それは理想的なキャリア・プログラムを実施しているということでもある。

3.GROWプログラムのメリット
確かに、GROWプログラムに専任スタッフをおくことは、会社にとって決して安くはない投資だ。アドック氏は「あるポジションが空いたため、新人を採用することと比較すれば、ずっと効率的です。会社にとっても、必要になってから研修をするのではなく、その前に後継者を準備できるので、会社の成長にもつながっています」と、戦略的に活用できる後継者育成プログラムとしての「会社にとってのメリット」を強調する。右肩上がりの成長を続けている同社にとって社内での優秀な人材育成は将来の企業価値に大きく貢献する。
また「社員にとってのメリット」としては、このプログラムに参加することによって、自分の望んでいる職場の仕事がどういうものかを知ると同時に、古いスキルだけでなく新しいスキルも身につけられる。自分が就きたい仕事に必要な知識、スキルをOJTで習得することができるので、本人にとっては、自分のキャリアゴールのアセスメントにもなる。アドック氏は「社員はGROWプログラムに入ると昇進の機会が与えられるわけです。大事なことは、社員は自分のやりたい仕事をして、それが昇進につながるということ」が社員のモチベーションの維持・アップにいかに貢献しているかを強調していた。
GROWプログラムと他のローテーション・プログラムとの違いは、社員にクロスファンクショナルなラーニングの機会を提供できるので、結果として会社にも社員にもメリットをもたらす。GROWプログラムには、パーフォーマンス・レビューがあるが、社員は幅広い知識とスキルを習得している。このことは、後継者育成等の組織プロセスに大変役立つとともに、各社員が異なったスキル、知識を獲得していることで、人件費の削減、社員のモラルアップにもつながり、組織の運営力が向上していると社内分析されている。

以上、ここまでGROWプログラムそのものの内容についてレポートしてきたが、次回の後編ではこうした仕組みを支えているeラーニングのシステム面についてレポートする。

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